利島村の沿革

    利島村は一島一村の超ミニ行政体ですが、昭和32年に実施した伊豆七島文化財総合調査により、多くの出土品とともに縄文中 期(約5,000年前)の竪穴式住居跡が発見され、先史時代から人が住みついていたことが明らかとなりました。本島は律令制下では伊豆国加茂郡に属し、江戸幕府開府時は天領として徳川家代官の支配下におかれましたが寛文10年(1670年)に伊豆韮山代官の管轄となり、明治維新後静岡県に編入され、続いて明治11年(1877年)に東京府所管となり現在に至っています。

    地勢等に係る自然条件

    本島は東京から南へ直線で約140キロの北緯34度31分、東経139度17分の太平洋に位置する面積4.12平方キロ、周囲約8キロの円錐形をした小島で、ピラミット型の美しい姿を見せて洋上に浮かんでいます。しかしながら女性的な洋上景観とは対照的に島の周囲は垂直ないし45度の傾斜をもった海蝕崖で切られ、最も発達した南側の海蝕崖は高さ340メートルにも達しています。また海岸線には湾入部は見られず、砂浜もなく、海岸の磯浜は玉石で形成されています。本島は富士火山帯に属する火山島で、地質は玄武岩が主要岩石ですが火山島とはいっても有史以来噴火の記録はなく、地味は伊豆諸島中もっとも肥沃です。また気候は黒潮暖流の影響を強く受け、年間を通じて気温の変化の少ない海洋性気候です。